The Future

Hello friends. This is Dogentricks.com, and this is my life.

I have received a fair amount of e-mails lately in regards to the recent lack of English blogs. Today, I’m here to tell you about the future of Dogentricks.com.

For those of you who don’t know, the trickstutorials forum–AKA tricking central, the tricking mainframe, the trick-star, etc.–was permanently shut down a matter of weeks ago. This effectively disbanded the tricksters littered around the globe to their respective cliques. Around the same time, I sent the first draft of my second Japanese novel “Senpai,” to a handful of my most intelligent friends–several of which are graduates from Tokyo University (certified geniuses). Within a few tricking deprived weeks I had received my feedback. This brings us to today.

My name is Dogentricks.com, and this is my life. I strongly believe that this life, the life of Dogentricks.com, is an existence with a distinct, defined purpose. Furthermore, I believe the role I play is bigger than my existence as a human. That is, while as a human I am entitled to indulge myself in the warm love of a gentle woman, the liberation of a cold beer with old friends, or the passing of genes through a laughing child, as Dogentricks.com I simply can’t allow myself to wade into these temptations.

The purpose of life is inspiration. Inspiration fuels passion, and passion drives action. Action is the catalyst of our world and the source of evolution. Inspiration is the difference between potential and growth, thought and will, existence and life. It is but only during our fits of passion can we truly say to ourselves, “Yes! This is what it means to be alive!” We must live to spark fires and ignite reason to reach towards the impossible.

This is what I truly believe. While ‘enjoying’ life is of the upmost importance, beyond that I believe I am inclined, perhaps obligated, to sacrifice personal leisure for a larger purpose. For me, it is more important to inspire than enjoy. I would love to drink red wine with woman of my dreams and watch over the growth of our children–but I can’t. The role I was born into wasn’t that of a spectator enjoying the game–it was that of player stealing from third to home.

Thus, I am left with no choice but to train. I have to give the spectators something to cheer for—something that will have them screaming from their seats—something that will make them jump to their feet and bring tears to their eyes. Above all, I can’t be out; I need to steal home, and make it. I absolutely cannot fail; I need to to write the preeminent Japanese novels of this generation. I am Dogentricks.com, and this is my purpose.

Before that happens, however, I need to get out of the batting cage.

The next time I write an English blog will be after I am a published writer in Japan. Those with questions are more than welcome to e-mail me.

小説の書き方6:対話

理沙、

昨日、僕は遅くまで書いていたので、今は日ぐっすり眠れるような気がする。

今回、対話について説明したいと思います。会話はおそらく、筆者が使う一番大切な道具であろう。何故なら、対話は登場人物を描写するからだ。

キャラクターを直接描写することはなるべく避けたほうがいい。これはもう随分前から説明しているよね。キャラクターを紹介してから、後の詳細は読者の想像力に任せればいい。しかし、これをしてしまうとキャラクターのイメージが微妙に頭に浮かび上がらない、という議論もあったね。対話はその議論の対策である。

対話、すなわち人物の間の会話を上手く利用すると、キャラクターは生き始めるのだ。例を見てみよう。

スターバックスにお客さんが三人いるとする。男二人、女一人。二人の男は幼なじみで、会話をしている。女は関係のない人で、角席で小説を読んでいる。彼女はかなりの美人だ。

「ちょ、お前見てよあれ」と健。
「え?何だよ、大した事ねーじゃん」と大輝。

これで大輝の性格について何かが分かったはずだ。彼は女性に対してかなり経験を積んでいるようだね。一方、健はそうでもない。

「ちょ、お前見てよあれ」と健。
「やっべ」と大輝。

この僅かな違いで、大輝という人物の第一印象が完全に変わるね。どうやら今回の大輝は女性に対してあまり自信を持っていないようだね。

「ちょ、お前みてよあれ」と健。
「俺、女の人に興味ないし」と大輝。

今度はホモになります。ワオ。

「ちょ、お前見てよあれ」と健。
大輝は彼女をチラッと見て、黙っていた。

これでまたかなり違う。静寂も、一応会話の一つなのだ。この簡潔な例文さえ読んでみれば、対話の力が見えてくるのだろう。影響力があるからこそとても大切にすべきだ。故に無駄な会話は絶対に取り除いてください。考えていることを全て友達に言わないよね?小説も同じだ。竜巻と津波に限り、天気についての会話なんてはどうでもいい。健と大輝が三年間ずっとスターバックスで会話をするとしても、重要なことについての会話していなければ、小説に入れないべきだ。

「何時?」と健。
「七時くらい」と大輝。
「そっか」と健。「ところで、明日何する?」
「特に」

こういう会話は面白くないし、小説に入れても邪魔になるだけだ。会話を使って、話を進めよう。

「理沙とどうなってんの?」
「それは。。。もう別れそうなんだ」
「え?お前、赤ちゃんどうするの?」

よし、来たーー!こういう対話を使えば、会話こそがストーリーになる。人物が生き、語り手が透ける。これはとても良いことだ。

まず、人物の雰囲気を醸し出す。そして対話を使い、キャラクターの性格を描写する。登場人物が5行くらい程話し出すと、読者は既にその人物を頭の中で描いている。だから人物が話し出す最初の5行をちゃんと考えてから書きましょう。そうしないと、人間の性格がだいぶ変わってしまうからだ。

彼女はじっと僕を見て、そして言った。「あなた、本当に私のこと好きなの?」
僕は黙っていた。

彼女はじっと僕を見て、そして言った。「あなた、本当に私のこと好きなの?」
「んな訳あるか」

彼女はじっと僕を見て、そして言った。「あなた、本当に私のこと好きなの?」
「そんな事言わせちゃって、ごめんな」

彼女はじっと僕を見て、そして言った。「あなた、本当に私のこと好きなの?」
「愛している」

対話は曖昧な登場人物に活気を呈するのだ。作者として、読者が私たちが創りだす神秘的なキャラクターのことについて興味を持てるように、きちんと対話を利用して、面白い人間を創りましょう。

では、また来週。

スターバックス

今日僕は朝早く目を覚まし、朝ご飯を食べる前にシャワーを浴びた。そして勿体無いからと思って、一週間も隷属に置いていたチキンを食べてしまった。吐きそうになり、家を出た。

それから僕は今スターバックスに来ている。午後4時のこのスターバックスは午前11時のスターバックスと同じ店だと信じられないほど変わっている。朝のスターバックスはおそらく、最初にスターバックスを建てようと思った人々の理想、そのままだ。人が少なく、集中しやすいところだ。店員さんは時間に余裕があり、ほとんどのお客さんは新聞を読み、あるいは何かを勉強している。静かな落ち着いた雰囲気だ。喫茶店とは?僕の脳裏に最初に浮かび上がるのはまさに午前11時のスターバックスのことなのだ。

しかし太陽が空を登るにつれて、スターバックスの雰囲気どんどん変わってくる。まずは人の変化だ。お客さんの総合したIQが徐々に低くなっていく。朝スターバックスに来る人々の手にしているものは大体二つある。それは小説かコーヒーだ。でも昼くらいになると読み物と苦い飲み物の姿が珍しいものとなる。代わりにブランド鞄やココアみたいな甘いものが目に入る。そして店員さんの年齢の平均が減って、店内がたまらなくうるさくなる。喫茶店と言えなくなるくらい大きな変化だ。そう、これは喫茶店ではなく、大人の食堂なのだ。

僕には一番不思議に思うのは幽霊の存在である。2時半を過ぎると幽霊がぞろぞろと店に入ってくる。幽霊は30代のぐったりした女性の形をしている。それから幽霊は必ずチョコレートマフィンを食べる。微妙に小さくて黒いマフィンが大きくて黒いトレーに乗り、幽霊がそれを持って店の中心から十分離れている席に行く。そして一人で座り、一人でマフィンを一口ずつ食べる。幽霊らしく、遥か遠く離れている恋人のメールを待っているように、鳴っていない携帯をちらちら見る。マフィンがついに消えると、幽霊が長い間黒いトレーの中心を涙が溢れそうな目で眺める。マフィンがもう一つあったらいいのに、と。あの人のことをもう少し信じていたらいいのに、と。もちろん、誰もが幽霊の透明な姿に気づかないのだ。

たまに同じ人、または同じカップルが何度もサターバックスに入ったり出たりする。同じものを飲んでいるのかどうか、僕には分かる訳がない。今日ある可愛い女の子が僕の斜め前の席に座り、携帯を弄りながら三十分くらい一人で何か(グッチの財布を持っていた女性だからにはアメリカノじゃなかっただろう)を飲んでいた。彼女は僕をチラッと見ていたような気がしたけれど、彼女と目を合わせる自信がなかったので彼女はもうしかして一回も僕の方に目をやらなかったかもしれない。その女の子は店を出ていって、僕は金原ひとみと村上春樹の文体を分析し続けて店に残っていた。それから二時間経て僕はふっと見ると、その子が再び僕から斜め前の席に座っていた。今回はチョコレートマフィンを食べていた。まさかと思ったとたん、彼女の前にもう一人スタイルのいい女の子が優雅に座った。どうやら彼女はチョコレートファフィンがただ好きなことだけだった。こういった混乱させる程不思議な出来事が常にスターバックスで起っているのだ。

家を出る前に僕が朝食として食ってしまった腐ったチキンを結局吐き出したので、スターバックスに着いた時に既にお腹がかなりすいていた。そこでグランデ・サイズのスペアミント・グリーン・ティとなんとかハムサンドイッチを頼んだ。サンドイッチのカタカナの名前が余計に長くて、僕は日本語をかまないようにガラスの後ろに隠れようとしたハムを右手の人差し指で指し「これ」と言った。すると、日本人の店員さんがかえって訳分からない英語を吐き出した。「はい?」と返事した僕はカンター越しに三人の店員さんの意表を突く。僕の後ろに並んでいる人が小さく笑い、すごいと呟く。僕はどんどん赤くなってくる。あ、どうも。一瞬ネタになったサンドイッチを手に取り、端っこの空いている席に向かった。

今5時半です。パソコンの電池がなくなったため、店の唯一のコンセントがあるテーブルに座っている。トイレの隣だ。誤った建築なのか知らないけど、奇妙な壁がトイレの方から店の中心の突き出ていて、引きこもったこの度から店内がほとんど目に入らない。ここに移動する時、僕は席から立ち上がると隣に座っていた三人のギャルがくっくっと笑った。話し掛けるのなら今しかないと思ったけど、もう一回日本語をかみそうになって彼女達のことに気づいてないふりをして僕は黙って、さっさと荷物を動かした。今では他のお客さんとの交流は人がトイレに来る時に限られている。僕はパソコンから見上げる度におしっこ、もしくはウンコをするところでいる人間と目が合う。そう考えると僕はいつも笑ってしまい、他者がさっとトイレに飛び込む。俺のすぐそばに、誰かが今、臭いものを漏らしているところだ。万一に酷い下痢の場合では音が壁を通れるものなので、この席に腰をかけてすぐさまイヤホンを耳に入れた。

6時半。電池チャージを完了したらもう一度を移動し、僕には再び店内が丸見えだ。僕がトイレの警備をやっていた間、店ではびっくりするほど人が少なくなった。今のところ店員さんが2人、お客様が7人だ。昔聞いたようなアメリカの軽いジャズが天井のスピーカー流れている。僕に一番近い人が小説を読んでいる。彼女の隣に五十代ぐらいの男が世界情況を深く考えているという顔をしながら、時々白いマグから黒いものを口にする。窓の外では雨がぱらぱらと降り、通り過ぎる人がほとんどいない。濡れた地面には月の光が見える。いつの間にか、スターバックスがまた喫茶店に変化したようだ。僕は再びノルゥイの森を鞄から取り出し、再び村上さんの文を分析し始める。

小説の書き方5:コールバック

理沙、

誕生日おめでとう。それにしても5時半って早いっすね。僕は数年間6時前に起きたことがない。大学生活ばんざい!

今回、「コールバック」という技について説明したいと思います。英語の「call back」をもとにした言葉だ。「コールバック」は簡単に言うと「取り戻す」という意味だ。「call」は「呼ぶ」で、「back」は「もう一回」ということだ。直訳すると、「再び呼ぶ」となるかな。これは笑いがよく使う、人を笑わせるための技である。理沙は実際に何回もこのテクニックをテレビなどで見たことがあるでしょう。使い方はとても簡単だ:

誰か(自分でも)が言ったことを、しばらく時間がたってからもう一回言う。

僕は既にこの技を理沙のアドバイスの中で何回も使っていた。一回目のアドバイスをもう一度読んでみよう。

冒頭の段落、最後の方:あれ?何これ?さっぱり訳分からんけど。というところがあれば、出来るだけ無視してください。眠いから。
2番めの段落、最後の方:意味がなければ、こっちは寝るべきだ。眠いから。
4番目の段落、最後の方:分かったかな?だから5つの文を書く時間もあればどうすればいい?そう、寝ればいい。眠いから。
5番目の段落、最後の方:そう、とても疲れる手順だ。既に眠いし。

見ればわかるように、僕は単純に「眠い」という面白いはずがない言葉をよく働かせ、わざとこの文書を面白くしたんだ。今も「眠い」をよく使うけどコールバックっていうよりも、これはもう慣習、もしくは挨拶になっているね。(笑)2回目のアドバイスにも、さんまさんの特徴的な「せいやろ?ッハー!」を活用し、またコールバックを利用した。コールバックに関する文をアドバイスから抜いてみれば、文書は両方とも全体的に堅くなる。それで、読みにくくなる。僕はあまり面白くないけれど、この単純な技を知っているから面白いことを書ける。と、思いたい。笑

他にコールバックについて言っておきたいこと:
1:人が一回笑ったことを二回、三回も笑うはずだ。従って友達を笑わせた冗談を二回も言い出すと、その友達が再び笑うのだろう。
2:コールバックを利用する前に、十分待つべきだ。友達が笑い終わって我慢せずまたすぐ同じこと言うと、バカに見られる。一方では友達が調度その冗談を忘れたそうな時にもう一度冗談を言うと、友達は爆笑するだろう。
3:コールバックの面白さは雰囲気とタイミングによる。

今回わざとコールバックを使わなかったから文章が若干堅く感じられるだろう。コールバックは単純で面白い。それから上手く使えると、聞いている方に賢く見られる。文書の中でも、会話の中でも、是非使ってみてください。最後に言っとくけど、理沙はこの技を知っていてお笑いを見ると、かなりがっかりすると思うよ。ほとんどのお笑いはコールバックしか使っていないからだ。

ごめんな。笑

んじゃ、また来週。

小説の書き方:4書く

理沙、

昨日、僕は午後の4時半から夜の11時半まで書いてしまった。よって、今僕は目を完全に開けられない状態だ。ワオ!

今日小説の書き方ではなく、書くことについて理沙に一般的に説明したいと思う。おそらく最初からこれを書くべきだっただろう。

僕の考えでは、書くことは他の学科よりも随分大事だ。どんなに数学を勉強していても、高校卒業してからの計算を全部計算機でやるようになってしまうのだろう。どんなに漢字の勉強をしていても、高校卒業してから、簡単な手紙と自分の名前と住所以外、筆で書くことはほとんどない。僕たちの現代的な社会では、パソコンと携帯が筆と鉛筆を超え、ややこしい漢字の書き方を知る必要がもうほとんどない。一生日本に残ったら、英語も話さなくてもいい。福沢諭吉の誕生日や植物の科学的性質など、やがていつか、全てを忘れるのだろう。試験が出てこなくなったら、入らない思い出のように、得てきた知識も出てこなくなるのだろう。

(注:勉強しなくてもいいとは言ってないぞ。細かいことを忘れてしまっても、基本知識は非常に重要なことだ。学生でいる間はしっかり勉強すべきだ)

しかし、書くことは違う。何故かというと書くことは知識じゃなく、道具であるからだ。それからどんな能力であっても、ある程度まで才能を磨けば、人に影響を与える力になる。中学生レベルのスキー選手は大したことじゃないけど、オリンピックレベルのスキー選手は国民を感動させる力を持っている。でもスキーをするのに色々が必要とされる。山も、リフトも、お金も。そして多くのスポーツを激しくやればやるほど身体が徐々に壊れてくる。運動することは非常に大切だが、50歳スキー選手は金メダルを取れる訳がない。

しかし、書くことは違う。書くために必要とされるものは紙と筆だけだ。従って、誰でも、いつでも、何でも書ける。それに書くことは日常欠くべからざるものだ。友達にメールをする時、先生にノートを書く時、会話でも言葉の並べ方だけだ。言葉を口にする前、どうやって言えばのか?と考えたことがあるのだろう。「なんていうかな。。。」という表現自体がこれを示している。よって、書くことを練習すれば言葉に対する日常的な物事は全てよりもスムーズになる。簡単に言えば、言っていることじゃなく、言い方が大切である。それから人間は書くこと練習するにつれて、言葉の重さが分かるようになる。

最後に一番大切なことを説明したいと思う。書くことは創造的なことである。すなわち、書くと脳が働く。ものを写ったりするよりも、ストーリーじゃなくてもとにかく自分で文を作ってみれば、頭がよくなるのだ。これも、事実である。つまり、小説家は頭がいいから小説を書くのではなく、小説家は小説を書くからこそ頭がいい。一般人が真面目に100ページぐらいの小説を書くことは多分、一年間学校に通うことと近い。何でかと言えば、小説を書いている内に自分の先生、自分の生徒にもならなければならないからだ。

Yawn. 今日はここまでだ。今週も少し忙しくなりそうなので、木曜日もアドバイスを持って来れなかったら許してね!外人も、一応人間だから。

では、また木曜日。