首筋

首筋

僕は壁が非常に薄いアパートに住んでいる。二階建ての二階にある角部屋で、つい一昨日まで隣の部屋に誰も住んでいなかった。真下の部屋でヤマハのバイクに乗る足の短い男と俺は見たことがない彼の彼女が音を立てずに暮らしている。二人は部屋にいる間絶対に話さない、という契約でもしたのではないかと思うくらい静かだ。それで一昨日まで、僕の近所は音のない空気だけだった。しかし一昨日、新しい人が引っ越して来たのだ。

女性だ。よし、もらった!という訳ではない。実は彼女の顔はまだ見たことがないのだ。首筋なら、一回はある。一昨日小説の勉強を終えてイヤホンを抜くと、女らしくて穏やかな声が壁から漏れて耳に入ってきた。すると、僕はソファから跳び上がってロフトの低い天井にバタンと頭をぶつけたのだ。彼女は聞こえただろうか。聞こえなかっただろうか。いや、僕にあんな小さな声を聞けるのだから、彼女にも俺の頭に起きた衝突が聞こえたに違いない。このださくて鈍い音が俺の第一印象になるのだろう。

トン、トン、トン。彼女がロフトから降りて、キッチンに入った。俺は彼女の音を追いかけ、自分のロフトを降りて、自分のキッチンに入った。その時、部屋の間には壁ではなく、僅かに時間がずれた鏡があるように見えただろう。俺はそう思い、彼女の声を探した。ガチャッと、ドアの音だ!チャンスだ!ドアの中心にある小さな確認窓を覗き込み、息を止める。ガチャッと、彼女のドアが閉まる。ふと見ると俺の部屋の鍵が閉まっていないのに気づく。まずい。彼女がこのドアを開けたら、俺が彼女を観察していることがばれてしまう。しかし、今更鍵を閉めたら彼女は音に気づくはずだ。でも彼女は俺のドアを開ける訳がない。だけど万一ドアを開けたら俺は変態だと思われる訳。どうしよう。手が鍵に届くか届かないところで、彼女は俺をいじめているように顔を反対側に向けてさっとドアを通っていった。俺には彼女の首筋しか見られなかった。10秒くらい経つと、俺は鍵を閉めてロフトに戻った。

昨日、壁の向こうから音は全くなかった。まるで俺の寂しさと想像力が協力して彼女の存在を勝手に作ったようだった。6時に耳を壁に押し付けると、むしろ何も聞こえなくなって恥ずかしくなるだけだ。7時にも同じ結果が出る。8時に俺は毎日8時に一人で広い空を眺めなら外でコーヒーを飲む、という格好をつけて、アパートの外でコーヒーを飲み始める。飲みながら新しい車を探す。NISSANのGTーRが4台も駐車場にあるものの、女っぽいピンクのWAGONっていう訳分からない英語の名前を与えられた自動車はどこにもない。彼女はもしかして、本当に俺の想像だったのか。そう思って、冷たい風に吹かれながら温かいコーヒーを口にする。そして再びアパートに入り込み、誰もいない空間に「ただいま」と声をかける。当然ながら、返事は戻ってこなかった。

俺は彼女を忘れることにした。幻の美人を忘れて小説に集中する、と。そうやって僕はいつものようにロフトに上がり、パソコンを開き、イヤホンを耳に深く入れる。村上春樹の文に何回も視線を走らせる。何でここが「が」なのかな。何でここは「は」なのかな。俺にはさっぱり分からない。ああ、難しい、日本語は。ちょっと休憩しよう。と思ってイヤホンを抜くと、今度はHな声が耳に届くのだ。

やっぱり本当だった!と最初の一秒目の喜び、それから二秒目の悲しみ。あぁ、ああ、もっと!早く!これはまた困った状態だ。今までは俺は受験生のように静かに勉強していたので、壁の向こうにいる二人、あるいは三人はきっと誰もいないと思い込んでいるのだ。急に立ち上がって音を立てると、彼女はイケなくなってしまうかもしれない。俺は彼女にそういう中途半端な経験させる訳にはいかない。待つしかない。と思い、俺は20十分程性欲の声を浴びる。どう覚えればいいのか。発情した方がいいのか。うんざりした方がいいのか。彼女のボーイフレンドのスタミナに感動した方がいいのか。隣に行って、出来れば参加させていただきたいんですけど、と言った方がいいのか。結局何すればいいのか分からなくて、心の中に芽生える不安と興奮をこの文章にしてみた。

あ、今終わったとこ。