別府の海風

別府の海風

2010年8月21日

別府のそよ風に吹かれつつ、僕は日記を書く。

今「鮮やかな闘い」の手を休めて10分休息を取っている。とはいえ、五分も経たないうちに、別の日記を書き始めざるを得なかった。そう、あの素晴らしい大人向けの食堂に来ている。スターバックスにいると、僕はどうしても書かずにはいられない。地球はスターバックスを中心に自転するのだ。

別府のスターバックスは海の近くに位置し、外にでもいくつかのテーブルと椅子が備えてある。それでこのスターバックスでは、好きな飲み物を飲みながら風に混ざり合う海と温泉の匂いを楽しむことが可能だ。別府湾に向いたテーブルに座って美味しいコーヒーを手にしながら、僕はクラシック音楽を聴くのが非常に好きだ。全く教養がないながらも、自分はかなり教養がある人だと思わせてくれるからだ。温かい陽射しを浴びて美しく香る風に吹かれつつ、コーヒーの苦さとモーツァルトの「トルコ行進曲」に五感が満たされていく。この瞬間は完璧だ。

このスターバックスの最も目立つ特徴は、来店する外国人の比率である。近くに地獄めぐりといった観光地が多々ある上に、店の前でバスに乗ると、30分も経たないうちに5割を留学生が占めているAPU立命館大学に着く。その結果として、来店する人のうち、半分以上は日本人ではないと言っても過言ではない。この独特な現象は別府のスターバックスを面白くするのだ。噫、ワーグナーの弦楽合奏よ。

英語はもとより、日常の日本語が大体分かる白人にとって、この店はユーモアに富んだところだ。殆どのスターバックスに行くと、飲み物を買う時に、店員が日本語で話してくれる。ここは違う。韓国から来る多くの観光客のせいにしろ、日本語を勉強し始めたばっかりの留学生のせいにしろ、店員は僕に向かって英語で話し始める。今まで多くのオーダーを日本語で馴らしてきた僕は唐突に「Hi, what can I get for you?」と言われてしまうと、英語が母国語である僕にとって恥ずかしいことであるが、多少冷静を失ったことを告白する。「熊蜂の飛行」のクレッシェンドのごとく、いつの間にか国際的な視聴者に取り巻かれた僕の緊張感は掻き回されていく。

リズムを崩した僕は久しく耳にした英語を聞こえていない振りをし、いつものように日本語で頼んでみる。すると、態と敬語が省かれた「店の中で食べますか」という返事が尚更面白くて、一段と僕の意表を突く。何語で、何を言えばアイスコーヒーをもらえるのだろうか。レジの前で三次方程式を解いているように、僕は無意識の内に視線を天井に向け、最も適切な言葉を見つけるために脳を働かす。何とか注文をやり遂げてBLTサンドイッチ and アイスcoffeeと共に外のテーブルへ移動している最中に、余りの混同に、何か大切なものを忘れてしまったかのようにレジの方を振り返る。エリーゼのために、いや、コーヒーのために。

今僕は外国人の虹に囲まれている。左側には、二人の白人がいる。日本語をびっくりするくらい上手に話す、灰色のTシャツを着ているアメリカ人っぽい男の人。彼の隣に座っている、日本語をびっくりするくらい下手に話す、ぽちゃぽちゃした女の人。僕の日記に登場することを知らず、彼らは気楽に卑猥な話をし続ける。片耳で宙を飛び交う中傷を何気なく聞いているうちに、もう一方の耳にリストの「愛の夢」が雨が降り出したように流れ始める。落雷でまっ二つに切り裂かれたような気分になり、僕は人間の感情の幅広さに深く感動する。

右側では、三人のベトナム人が煙草を吸いながら快活に言葉を交わす。当然ながら僕には彼らの会話が分かる訳がないが、おそらく、昨夜酒場で起こった出来事について話しているのだろう。少なくとも、彼らの身振りがそう暗示している。青空に舞い上がる煙草の煙を眺めるともなく、僕はコーヒーを一口啜って小さく笑った。別府の夏とヴィヴァルディの冬に導かれ、既に天に昇った心地がした。

鹿児島抹茶フラッペ

2010年8月14日

鹿児島中央駅前のスターバックス

僕は今、世界一人気のある大人向けの食堂に来ている。そう、僕は今スターバックスにいる。

題名のごとく、今回の文章は鹿児島県で書かれている。ここまで来るのに、かなり時間がかかった。出発してからは5、6時間しかかからなかったものの、バイク経由で大分出身ですら知らない豊後大野市から鹿児島まで行く勇気を奮い立たせるのは、僕にとってなかなか難しいことであったのだ。天気のせいにしたり、忙しすぎると自分を甘やかしたり、という言い訳生活が数ヶ月も続いた。挙げ句の果てに、生徒の一人に「え?まだ行ってないの?もう、夏だよ」と言われ、たとえ雷であれ今週末こそ、行こうとやっと決心した。今日僕は夏の陽射しと椎名林檎の美しい旋律を浴びながら、桜島を一周した。感激の至りだったと言っても過言ではない。二十分くらい前に、ついにスターバックに到着した。

この日記を書くのは僕にとって、とてつもなく愉快なことである。何しろ、5月に入ってから、自分の最も不得意な分野である、日本語の語彙に注意を集中しようと決意したからだ。そういう訳でおよそ三ヶ月、昼夜iPodタッチを手にし、JAPANESE FLASHやKanji Flipといった暗記ソフトに泪を漏らすまで夢中になっていた。そんな自分は3、4千個の単語を身につけたものの、ここ数ヶ月間ちゃんとした日記を一回も書いていない。今日新たに得た知識を生かし、いつものようにスターバックスについて延々とぼやいていきたいと思っている。宜しくお願いします。

今一番気になっているのは隣に座っている、三十代に見える摂食障害気味の女性のことである。目の前に置いたノートを眺める彼女は、もう数分間、微動だにしないのだ。まばたきさえしない。それに、イヤホンから流れる音楽がリズムよく僕の聴覚を阻み続けるから、彼女が息をしていることも、確認が出来ない。彼女の不思議な行動は僕の思考を最も滑稽な結論へ導いていく。抹茶フラッペ飲んでいる最中のこのお姉さんは、死んでいる。僕はそう思い小さく笑った途端、彼女は忽ち荷物を纏めて立ち去ってしまう。今日鹿児島で起きた彼女の麻痺は結局、真っ赤な西日が桜島の影に沈むごとく、謎に終わる。なんて素敵な去り方なのだろう。

僕がまた外人の雰囲気を漂わせているせいか、彼女に代わるものは来ない。このスターバックスは窓付けのカウンターも含め、約15のテーブルを備えている。その中の一つは、僕とコーヒーの歴史が生半可に描かれた壁が塞いでいる、大きな勉強向けのテーブルである。何分経っても、淋しいことに唯一付き合ってくれるのは、麻痺患者の温もりだ。この鬱陶しい現実を軽く受け流し、斜め前に座っている粋な帽子に潜んだギャルの描写をし始める僕。

とにかく顔が小さい。という表現は、かなり長い期間僕を狼狽させた。英語では決して褒め言葉にならない「顔が小さい」というフレーズを初めて言われた時に、正直言って僕はかなり傷ついていささか自信を失った。そして留学生活が過ぎるにつれて、知り合いが増えれば増えるほど尚更自分の顔に対する劣等感に襲われ、より深い自信喪失に陥った。一時、鏡を見る度に、自分の顔の「足りなさ」に戸惑いを覚えた。斜め前に座っているギャルに「顔がちっちゃ」と言ってみたら、彼女も落ち込むのだろうか。

やっと来た。テーブルの反対側に、大学生らしい二人の女性が優雅に腰をかける。睡眠不足な僕は今、自分が迷って偶々このスターバックスに転がり落ちたという澱んだ顔をしている上に、外人だから、日本語が出来ると思われている筈がない。そう考えてみると僕ですら、自分がここにいることをかなり奇妙に感じ始めた。自己主張が霞みつつある僕は、テーブル越しの出来事を歴史のページに書き残すのだ。

左の細い子は化粧の覆面をし白いシャツを着、ひときわ重なり合ってちっとも似合わないマフラー一枚とネックレス五つで首を隠している。一個のネジが飛び出したように、彼女は延々と信じられないスピードで言葉を吐き続けている。僕はこういう人が幾分苦手だと言わざるを得ない。何故かというと、言葉を大事にしないからだ。まあ楽しんでいるようだから別にいいと思うけど、ネックレスとマフラーを活用し彼女を天井の装飾にした方が面白いかも。彼女の声が降り注ぎ、思わず僕の想像がより冷酷な方面に赴いていく。右の子は黒いスポーツコートを着ていて、ひたすら頭を縦に振り、押し寄せる勢いにさらわれていく。

よし。たった今、スターバックスで起こる僕が最も不思議に思う現象が生じた。そう、二時間ほど前に店内にいた二人の客が、一回出口を通り、そして暫く経ってから、また入ってきたのだ。僕にとって、再び入ってくる客と目を合わすのは興奮してしまうくらい楽しいことである。いかに遥か遠いところに行こうと、これほど恥に満ちた表情はなかなか目につかない。ところがとうとう彼女と目を合わした瞬間、いかにも反対の結果が出たのだ。友達の肩を軽く叩き、彼女は指を宙に上げ、それを大胆に直接僕の方を差す。周りの客や、一人の店員に至るまで、僕の方に視線を向ける。そんな馬鹿気た展開。僕の小さくて物足りない顔にしっかり張られた肌が熱く火照ってくるのをつくづく感じる。何回来ても、僕はスターバックスという謎を解くまい。