Killer

贅沢は味方もっと
欲しがります 負けたって 勝ったって この感度は揺るがないの
貧しさこそが敵
贅沢するにはきっと 財布だけじゃ足りないね
だって麗しいのはざらにないの 洗脳にご注意

ご覧 ほらね わざと逢いたんだ
季節を使い捨て 生きていこう
夜も秋も盗みないの
貴方は私の一生もの

贅沢するにはきっと 妬まれなきゃいけないね
ちょっと馨しいのを睨まないで
欲しがらないなら

今日は一度きり 無駄が無けりゃ意味がない
絶対 美しいのは 測れないの 溢れ出すから
ご覧 険しい日本で逢えたんだ
探し出してくれて ありがとう
空も恋も騙せないの
私は貴方の一生もの

日本が大好きですが

興味深い人物に溢れる、非常に長い歴史。世界中の人々に愛されている、独特な食文化。大人でも楽しめる、ユニークなアニメ。基本的に僕は日本が大好きだ。しかしどうしても気に入らないことが一つある。そう、僕は日本のスーパーが嫌いだ。

スーパーに行かなければならないと思うと、ぞっとする。スーパーに足を踏み入れた瞬間に悪夢が始まる。大きな波のように、十代のオタクがテンションを上げるために聴きそうな音楽が体を包む。バンバン!ボボボボ!あなたは、流星!!!照明が眩しすぎて目が痛い。秋葉原のゲームセンターかよ、と思わず呟く。そしてバスケットへと手を伸ばす。しかしそこでも絶望が僕を待ち構えている。バスケットの小ささといったらない。小人がピクニックに行く時に持っていそうなバスケット。「ちっちゃい」という言葉の語源はこのバスケットにあったに違いない。作った人の脳みそを検査したくなる。僕はミニバスケットを手にして果物売り場に向かう。

僕は毎週だいたい同じものを食べる。それでスーパーに行くとだいたい同じものを買う。どうりでスーパーにいる時間はとても短い筈だ。しかし現実は違う。短いどころかスーパーに入ると時間が滲む。客が百人もいるのにレジ店員が一人しかいなかったり、足を1メートルほど進めるのに何ヶ月もかかるおばあさん達に囲まれたり、それから「見て外人だ!」と体を凍り付かせる子供たちに阻まれたりして、買い物がなかなか進まない。興味深そうにみかんを比べるおばさんとひどく太っている小学生に挟まったまま、僕はバナナをバスケットに入れる。あなたは、流星!!!

魚に近づくとまさかの展開。もう一つ、全然違う曲が流れている。それも耳を塞ぎたくなるような音量で。
さかなさかなさかな 魚を食べると
あたまあたまあたま 頭が良くなる
だとしたらこの曲の作詞家はきっと魚をほとんど食べない人だろうと反射的に思う。複雑に交錯している二つの騒音を聞いていると魚を釣っている電車男が浮かび上がり、気が遠くなる。店員の正気を保っているのは奇跡に等しい。

久しぶりにピーナッツバターを買おうか、と思った自分が馬鹿馬鹿しい。ピーナッツバターなんてものは、もちろんない。「ピーナッツバター」と書いてある、食後のプリンとほぼ同じ大きさの容器があって、その中に生きているように見える不思議な液体が入っているけれど、ピーナッツバターはない。にも拘らず、絶対にバスケットに入らないくらい大きなマヨネーズがずらっと置いてある。さかなさかなさかな、魚を食べると。みみみみみみみみみ〜、耳が痛くなる。

レジに向かう。と同時に恐ろしい事実に気づく。レジの辺で、もう一つ、全く違う曲が流れている。田舎よ、本当の大切なことを!というような民謡。天井のスピーカーの質があまりにも悪く、そして音量があまりにも大きく、これから買う果物を思わず店員さんに投げつけたくなる。耳から血が出ていないかと指で確認する。まだ大丈夫みたいだ。

らっしゃいませーーーポイントカードはお持ちでしょうかーーーー。
あ、ないです。
かしこまりましたーーー。

と顔を伏せた店員さんが歌うように言う。照明が眩しい。子供が多い。あなたは、流星!さかなさかなさかな!田舎の風景よーーー!お箸はいりますか?はい?あ、いや。袋はいりますか?え?ポイントカードをお作りしましょーーか?ないです。え、何?田舎よーー!ママ見て外国人や!さかなさかなさかなさかな、流星!!!

僕はスーパーから飛び出て秋の清々しい空気を肺いっぱい吸い込む。鼓動が徐々に安定してくる。大丈夫だ、まだ生きている。これからアパートに帰って偽物のピーナッツバターを食べよう。

最高の悔しさ

ライブに当選したのに。翌日セブン–イレブンに行って青い髪をしている店員に七千八百円を素直に渡したのに。そしてライブまであと九十三日、あと五十七日、あと十四日、と毎日カレンダーに赤いバツ印をつけていたのに。それから椎名林檎がより近く見えるようにわざわざ眼鏡を買いに行ったのに。ライブ前日に鹿児島東急ホテルの部屋を予約して、お酒は飲まないけどライブに行くためにお休みを取るのねと上司に笑われたのに。その夜わくわくしながらいつもより二時間も早く布団に入り、眠りに落ちるまで十八回も寝返りを打ったのに。そして翌朝早く起きてバイクに乗り、肩こりと一週間ぶりの雨と戦いながら大分と熊本と宮崎を通って鹿児島まで行ったのに。ホテルに着いてすぐ念入りにシャワーを浴び、一番イケてる紺色のピーコートを羽織ったのに。それからお腹を空かさないようにライブ会場の近くで四百五十円のたこ焼きを買い、それを食べている内に喉が乾いたため甘すぎるクーで流し込んだのに。鹿児島市民文化ホールから溢れ出ている列に入り、見て見て外国人が来ているよと二時間も周りの視線に耐えたのに。そしてチケット受付まで足を運んでこれだこれだよっしゃこれだという最高の緊張感を覚えたのに。

財布からチケットを取り出そうとした瞬間、頭が真っ白になった。チケットがないのだ。慌ててバッグを探ったが、無駄だった。ヘルメットを被る時にチケットを洗濯機の上に置き忘れたのだろうか。この九十三日間やってきたこと全てが無駄になるとは。「いやいや、チケットがないと入れませんよ」とそっけなく対応する受付の人。ぐさっと背中に突き刺さる周りの人の視線。これ以上に悔しいことがあるだろうか。

ある。

それは椎名林檎を見ることだ。仮に上に書いたようにチケットを忘れてライブ会場に入れなかったとしても、それは椎名林檎を見ることほどには悔しくないのだ。実際には僕はチケットを持っていた。天井の高いホールに入り、「ひ5」と書いてある席に腰を下ろしたのだ。ライブが始まるとあっという間に椎名林檎の溢れる存在感が会場を満たし、大きなドアを破って街路にこぼれだした。そして地獄から解放された天使みたいに、恐ろしい勢いで鹿児島湾の水面すれすれに飛んでいき、桜島の頂上まで登っていった。ステージの上に立っている椎名林檎を見て思わず呟いた。悔しい。こんなに悔しい思いをさせてくれるのは、やっぱりこの人だけだ。

僕の右側に三十代と思われるサラリーマンっぽい男性がいる。左側に大学生らしいカップルがいて、前に空色の制服を着ている女子高生が三人いる。開演する前はみんな違う。みんな静かに座って携帯をいじったり何を弾いてくれると思う?と小声で言葉を交わしたりする。しかし椎名林檎がステージに現れた瞬間、みんな変わる。我を忘れる。大声を上げたり大げさに手を振ったりして、中には愛していると叫ぶ者もいる。みんな最高に幸せだ。このホールの中に、「悩み」という概念の暗示すらない。椎名林檎はそういう人だ。年齢や性だけではなく、信念も全然違う人間たちに、一瞬にして悩みを忘れさせるような人。そんな椎名林檎を見ていると悔しさのあまりに涙が溢れてしまった。

僕がなりたい人間に、椎名林檎は既になりきっている。だから椎名林檎を見ていると自分の欠点がはっきりわかる。痛烈に。復習しなかった文法、生半可な気持ちで書いた文書、明日予定が入っていないから今日はちょっとでも休もうかと何時間もユーチューブを見ていた夜。などという、自分を忘れたい、自分じゃないと信じたい思い出ばっかりが鮮明に浮かび上がり、痛切な自己嫌悪に陥る。何で、こんなに弱い人間なんだろう。もっと頑張ったら、あの人のようのに輝けるのに。もっと頑張ったら椎名林檎のように輝けるのに。何で。何でだよ。お前は弱いからだよ。弱い人間なんだよ!と、悔しさが首を締める。

しかし僕と椎名林檎は全然違う。椎名林檎は生まれながらの天才なのだ。だから自分を椎名林檎と比べるのがそもそも可笑しい。僕にはそれがわかる。しかし椎名林檎が四歳の時からずっとピアノやバレエに励んでいたことも、わかる。中学時代に合計20以上のバンドの全ての楽器パートを掛け持ちで担当していたことも、ピザ屋や警備員などのバイトをしながらデモテープを作る日々を送っていたことも、わかる。そして音楽活動に専念するために高校を中退したことも、わかる。今も全国ツアーで僕みたいなファンを喜ばせるために一生懸命頑張っていることも、わかる。だからもしも椎名林檎が今日ギターを置き筆を下ろしたら間違いなく僕より先に作家になることも、わかる。生まれながらの才能なんてない。目の前で歌っている人間を作ったのは努力だ。天才を作るのは絶えざる努力なのだ。僕にはそれもわかる。

僕も努力家だ。毎日何時間も勉強し、いつも週末をもっぱら勉強に費やしている。しかしベストは尽くしていない。夜、布団に倒れ込んで今日も頑張ったと疲れすぎて言い切れないような努力は、していない。まぁまぁ落ち着いて、そんなに自分を責めることじゃないんだ。人生を楽しめばいいよ、生きるというのはそういうことだからさ。と笑って流せる人もいると思うけれど、僕はそういう人ではない。僕は勉強をしていない時間が長いほど罪悪感を覚えるような人だ。職場でトイレに行く度に手帳を取り出して文法を復習するような人だ。週末になると休めるからじゃなくてやっと勉強に取り組めるから喜ぶような人だ。執筆時間を少しでも増やすために毎日晩ご飯を作る代わりに野菜とオートミールをミキサーで混ぜ、運動する代わりに足首用のウェイトを手首につけたままシャワーを浴びるような人だ。作家になるためであれば、喜んで両足を切り離して海に投げ込むような人なのだ。と言いながらも、毎日だらだらとネットサーフィンをするような人だ。ちょっと眠いから今日だけは復習ノートに目を通さずに寝ようと、しばしば甘えるような人だ。頑張っていないのに大丈夫頑張っている頑張っていると毎日自分に言い聞かせるような、動いてはいるけれど努力をしてはいないような、情けない人だ。もっと頑張ったらあの人のように輝けるのに。もっと頑張ったら、椎名林檎のように輝けるのに!

呼吸が鼓動が大きく聽こえる
生きている內に
燒き付いてよ、一瞬の光で
またとないいのちを
使い切っていくから
私は今しか知らない
貴方の今を閃きたい
これが最期だって光って居たい

椎名林檎の音楽が大好きだけれど、僕は音楽を聴くために東京事変のライブに行ったのではない。人間は日常生活を送っていると、とかく気が緩みがちになるから行った。平和に暮らしていると自然と幸せになってしまうからだ。健康だし、いい仕事もあるし、友達も多いし、欲しいものあればすぐ手に入る。こんな人生でいいんじゃないの?何らかの刺激を受けないと人間はこうして鈍くなってしまうからだ。こうして、誰も気づかない内に存在感が薄れてしまうからだ。歳月が流れるにつれて悔しさを忘れてしまうからだ。今まで一体何をしてきたのだろうと思わせるような悔しさ。自分がとてつもなく小さい人間だと感じさせるような悔しさ。味わってしまうと幸せなんてものがどうでよくなるような悔しさ。一年前に椎名林檎を初めて見た時に感じた、あの最高の悔しさ。東京事変のライブに行ったのはあの悔しさにもう一度触れたかったからだ。あの悔しさを噛み締めたかったからだ。人間は悔しさを感じると無敵になるからだ。

成長して、輝くのだ。

窓の外で雨が降っている。今から僕はこのホテルを出て家に帰る。そして手が動けなくなって涙が出るまで、勉強に励む。来年の八月までに僕は日本で作家になる。今に見ていろ。