クラシック・フレーバー

高校時代に僕は映画館のバイトをしていた。ある日、昼休みを隣の中華レストランで過ごした後、映画館に戻り案内係を務めていると、二人の中年男がやって来た。一人は度の強そうな眼鏡をかけ、「I♡NY」のデザインを「I♡Microsoft」にしたTシャツを着た、1980年代のオタク基準で言えばかっこいい方に入るだろうけれど今では時代遅れにしか見えない、そういう感じの男だった。もう一人はと言えば、この胸筋どうだ?ほら、Tシャツが今にも破れてしまいそうだろう!まあ、子供用のMサイズですからね。という、プロボディビルダーにはなれなかったけどまだ毎日ジムに通っているぜ、そのいう雰囲気を醸し出す男だった。
「右側の5番目です」
とチケットを切って彼らに返す時、ふと気がついた。チケットは、三枚あったのだ。
「どうも」
とチケットを受け取った二人は同時に言って、スクリーンの方へと足を運び始めた。
「あの」
と僕は言ったが、彼らは振り返らなかった。
「あの、すみません!」
と大声で言ってみると二人は「ん?」と何事もなかったかのように、ゆっくりとこちらに向き直った。
「チケット、三枚あるんですけど…」
「そうだね」
とキン肉マンが当然のように言った。その言葉に腹が立って、じゃあ一枚食べちゃっていい?と思わず言いたくなった僕は、
「他に、誰かいらっしゃるんですか?」
MICROSOFTラブが笑みを浮かべた。
「その内わかるよ」
何がや?と言いかけた僕は、
「はい?」
と思わず言った。
「クラシック、フレーバー」
とキン肉マンが丁寧に発音しながら、ゆっくりと言った。
「クラシック、フレーバー、ですか?」
「そう」
彼はまた、ゆっくりと言った。
「クラシック、フレーバー」
さっき隣の中華レストランで食べた餃子にヤバいものが入っていたかもしれない、とその時僕は反射的に思った。
「クラシック、フレーバー、って何ですか?」
「クラシック、フレーバーが来たら案内してくれ。彼の分もちゃんと払ったんで」
「クラシック、フレーバーって人の名前なんですね?」
Microsoftラブが眼鏡をかけ直し、再び笑みを浮かべた。
「その内分かるよ」
そういえばあの餃子、ちょっと変な臭いがしたんだよなぁと思いながら、
「分かりました。映画を楽しんでください」
と僕は二人がきっとただの想像だということにして、トイレに行って顔を洗った。

「右側の2番目、左側の7番目、左側の1番目」
とトイレから戻っていつもと同じように案内係を務めていると、彼はやってきた。
身長推定190、外では雪が降っているというのにサンダルと水着とアロハシャツに麦わら帽子。まるでハワイのビーチから直接やってきたような格好をした、二十代後半と思われるニヤニヤした男。彼は僕の目の前で立ち止まって大きすぎる鮮やかなピンク色のサングラスをゆっくりとかけた。
あとで上司に中華レストランのことを言わなきゃと思いながら、
「いらっしゃいませ」
と僕は言った。
「ふん」
と男は鼻で笑った。
「もしかしたら」
と無意識の内に唇を動かした。
「ふん」
と彼は再び笑った。
「クラシック、フレーバー、ですか?」
「ウェーーーーーーイ!!」
彼はそう言って、小島よしおを思わせるような不思議なダンスを踊りだした。もう二度と餃子を食べないと心の中で誓いながら、僕は右の手の平でスクリーンの方を指した。
「右側の5番目です」

本当にあった話だ。

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ひどい話

 高校時代に僕は映画館の売店でバイトをしていた。ある日、とてつもなく太っている黒人女性が僕のレジにやってきて、
「バターたっぷりのポップコーン。ラージで」
 と言った。僕は「やっぱり」という言葉を飲み込むと、
「かしこまりました。少々お待ちください」
 と言ってポップコーンを作り始めた。後で大きいポップコーンの袋を補充しなきゃいけないなぁと思いながら機械的に動いていると、ふと気がづいた。彼女がまじまじと僕の手を見つめていたのだ。何何何と思いながらポップコーンを袋に入れ、普通二回しか押さないバターポンプを、四回も押してポップコーンにバターをかけた。そして振り返ってクジラ女にポップコーンを渡した。
「ちょちょちょちょっとお、たっぷり、って言ったでしょ?」
 開いた口が塞がらない。
「もうちょっとかけて」
 無理無理無理と思いながら、
「あ、はい。かしこまりました」
 と言った僕は、振り返ってもう一度バターポンプを押し始めた。五回、六回。人工バターが少しずつポップコーンに重みを加えているのを感じると、涙が目に浮かんでくるのが分かった。僕はブーティリシャス嬢の方に向き直ってポップコーンをカウンターの上に置いた。
「三ドルになります」
 彼女は五ドル札を渡してきた。それを受け取って一ドル札を取り出しているときだった。
「もうちょっと…」
 ふざけるなよもうないし消えてくれ!
「かけてくれるかな?」
「あぁ、…かしこまりました」
 世界一カロリーの高いポップコーンを再び受け取って、僕はもう一度バターポンプを押し始めた。七回、八回。十七歳の若さで僕は人殺しになるんだぁ、と思うととても暗い気分になった。ありがとう、と彼女が少し嫌そうな顔をしながらポップコーンを受け取ってやっと去っていった。僕はしばらく油まみれのカウンターをぼんやりと見つめていた。

 ドンドンドンという音にふと顔をあげた。何で…何でだよ。
「あの」
 バターじゃないよね。絶対違うよね。
「はい?」
「ここって、水は無料だったかな?」
 指先から力がすっと抜けていくのを感じた。
「ただですよ。さしあげましょうか?」
「っていうことは、水のカップも無料、ってことですよね?」
「……そうですが」
「バターでいっぱいのカップ、くれないかな?これじゃやっぱりまだ足りないわ」
 僕が震える手でカップを取り出すと彼女は僕を見て笑った。
「私、バターのかかったポップコーンじゃなくて、ポップコーンのかかったバターがいいの」

本当にあった話です。

面白い話

高校時代に僕は映画館の売店でバイトをしていた。
ある日、一度も話したことも、見かけたこともない女性が僕のレジにやってきて、何の挨拶もなしに、
「いつもの」
と言った。
「はい?何でしょうか?」
と僕が答えると、彼女は呆れたような表情を浮かべ、
「大きいダイエットコーラやろ?」
と当然のように言った。
「あ、はいそうでしたね。失礼いたしました」
と僕は言って、大きいダイエットコーラを作り始めた。

本当にあった話です。

ナイス

ふいに一瞬、視界が暗くなり、妙な音が聞こえた。本当に、ぞっとするような、奇妙な音。この家のどこかに、住んでいる者も知らない秘密の古い扉があってそれが突然開いて、また閉まった時のような音。また視界が暗くなる。

村上龍の、「オーディション」から。

新作の推敲、順調に進めています。是非楽しみにしていてください。

美しい浜(改訂版)

2010年9月24日

三ノ宮駅前のスターバックスにて。

ハチミツがたっぷり入っているカモミールティーが舌に触れると、妙に胸がときめく。そう、僕はスターバックスに来ている。

三ノ宮駅前のスターバックスは広いので、客が大声でしゃべっていてもあまりうるさくない。静かな潮が凸凹した岩を滑らかにするように、優しいジャズに満ちた広い空気が、わいわい騒ぐ客の声といい、ミキサーの金属音の響きといい、全ての音を和やかにしてくれるのである。好きな小説を読み耽るなり、ひたすら苦いコーヒーを飲むなり、時間を気にせずに好きなことをしていい。この平和な雰囲気は客をとてもくつろいだ気分にしてくれる。角の席に座り、ずっとイヤホンでMUSEの騒々しさを楽しんでいる僕には、全く関係のない話であるが。

別府のスターバックスと同様、ここは外国人が客の4、5割を占めている。と言っても、人種は全然違う。別府のスターバックスに来る外国人は、主に部活で身体を鍛えたアジア系の留学生、または韓国から来ている粋な観光客である。この三ノ宮のスターバックスに来る外国人は、主に肥満気味のはげた白人のサラリーマンである。これほど太っている日本人は滅多に目にしないので、日本人はこういう鯨に近い生物を見てどう思うのだろうか。外国人だから仕方がない、という偏見めいた思いを抱くのか。だって消化の仕方が違うもの。遺伝的な特質だから、特に何とも思わない。と、言われたことがある。ちなみに、同じ白人としてこれは恥ずかしい限りである。

店内の反対側に座る美人。橙色のランプの光に映えた彼女の身体を見つめていると、脂肪という概念がそっと頭から去っていく。読書に夢中になっているその彼女を見て、先週別府のスターバックスで出会った美人を想起する。先週と同じように、パソコンから見上げる度に、彼女と目が合うかもしれないと思うと、胸がときめく。先週と違って、今日の美人は年上で、30代半ばかと思われるくらいだ。しかし衰えを感じさせるどころか、あたかも、思春期に始まった身体の変化が、絶えず今日に至るまで、彼女の輪郭をより完全な形に研ぎ澄ましてきたようである。

どちらかといえば、2、3歳上ではなく、だいぶ年が離れて成熟した女性の方が僕を興奮させる。夜の経験も非常に魅力的だが、主に僕を魅了させるのは、仕事をしている筈なのに、彼女が朝10時にスターバックスに来て二時間ほど読書に浸っている、ということである。彼女の私生活が気になって仕方がない。

イヤホンを抜いてみると、頭に打撃を受けたかのように、突如襲ってくる雑音に圧倒される。ジャズはもう流れていないし、客の声もたまらなくうるさい。それに、ふと気づくと何だか空気も悪くなっている。朝の静かな潮はもはや引いてしまったようだ。しかし押し寄せていたジャズの波に、浜には真珠のようなものがたくさん残されている。今は午後1時で、店内は美人だらけだ。これは、スターバックスの特徴の一つである。