初めまして、道元です。
昨日、僕は自分の未来が見えた。昨日、東京事変のライブに行ってきた。

13歳の時、僕は「SOFTBALL」というバンドをネットラジオで発見した。その時までの僕は特にやりたいことも、未来の夢もなく、何となく白黒の日々を過ごしていた。でも「SOFTBALL」を発見したら、鮮やかな色が灰に覆われた僕の生活に降り注いできたのだ。
これは凄い、と思った。これは素晴らしい、と思った。この音楽の意味を知るべきだ、と思った。そして、僕はバイトで貯めていたお金を全て一気に遣い、SOFTBALLが発売したCDを全て日本から輸入した。WARAWABEというシングルの最後に、「とこしえに」という曲が入っていた。その曲の響きが耳に入った瞬間、日本語を勉強しようと決心した。
周りの人からよくいじめられていた。何であんな音楽聴いてんだよ、言っていること分からないくせに。SOFTBALLなんて大したことないんだぜ、あんなレベルのバンドなら山ほどあるんだよ。親にまで言われた。祖国の音楽を聞けば?でも僕は既にSOFTBALLの音楽に魅了されて、他のアーチストを聴けなくなったほどだった。1年くらい僕は毎日SOFTBALLを聴き、日本語を自習していた。いつか、僕は日本でSOFTBALLのライブに行く。この夢を持つようになり、鮮明な自分の世界を前進した。
残念ながら、僕が15歳になった頃にSOFTBALLは解散した。当時の僕はほんの少ししか日本語が出来なくて、SOFTBALLのホームページに行ったら解散したことしか理解出来なかった。そこでかるい鬱病に陥ってしまった。しかしここまで来ると、さらに前へ進むしかないと涙を堪え、日本へ行こうという気持ちを大学まで持ち続けた。
日本語を専攻することって、可能ですか?いやー、一応あるんですけどそうすると卒業後の就職機会はかなり限られちゃいますね。と、カウンセラーに数回言われた。そうなんだ。。じゃ何を勉強すればいいでしょうか。ビジネスなんかどう?と尊敬していた先輩が僕に勧めてくれた。国際ビジネスを専攻したらきっと日本で働ける仕事がたくさんあるよ。そうかもしれないなと僕は思い、ワシントン大学の優秀なビジネススクールに入学するために、一年ほど経済学ばっかり勉強していた。しかしその内に自分の世界がもう一度徐々に澱んできた。僕は本当にビジネスが好きなのか?と毎日思いつつ、重い足取りで授業に通っていた。僕ってビジネスマンになりたいのか?
二年生になり、選択科目として日本語を勉強し始めた。これだ。僕にはやはり日本語しかないんだ。そう確信してすぐビジネスの授業を全て落とした。親にも先輩にもかなり怒られたが、再び毎日が明るくなり、活気がどんどん湧いてきた。次は留学だ。流暢に話せるようになりたかったら、僕には留学が必要に違いない。そう思い、慶應大学の交換留学プログラムに申し込んだ。三ヶ月後、留学カウンセラーからOKサインが出た。
来日し、毎日一生懸命日本語を勉強した。それでどんどん話せるようになり、どんどん読めるようになった。ある日、僕は昔よく聴いていたSOFTBALLのホームページに行ってみた。すると、思い掛けない情報が目に入ってきた。秋茜、東京ツアー決定。
秋茜?というのは、SOFTBALLを解散した歌手の新バンドだった。SOFTBALLが解散し、彼女はすぐ秋茜を作ったということだった。もちろん、当時日本語を殆ど読めなかった僕には、それが分かる筈もなかった。ふとユーチューブで秋茜の音楽を聴いてみたら、一瞬にして中学校の頃の思い出に覆われてしまった。いじめられたことも、一人で机に向かって日本語を勉強したことも。そんな思い出がどんどん浮かんでくる内に、慶應大学生でいる自分はあることを決めた。それは秋茜の歌手に感謝の手紙を書くことだった。
僕はそうし、秋茜のmyspaceにメッセージを送った。それが彼女に届くかどうか、それから彼女がそれを読んでくれるかどうか、僕には分からなかった。とにかく今まで抑えられてきた感謝の気持ちを伝えてみよう。13歳の自分にそう説得され、心のこもった手紙を送ってみた。翌日、返事が来た。
東京に住んでいたその一年間に、結局秋茜のライブに10回も行った。どれも人生の絶頂のように感じられた。その上、バンドのメンバーと一緒に居酒屋に行ったり、一緒に違うライブに行ったりもした。僕が行った最後のライブで、秋茜は滅多に弾かない「とこしえに」を僕に弾いてくれた。数回もSOFTBALLのあの歌手と話す機会があった。ある時、居酒屋で隣に座っている彼女に尋ねてみた。
「何で歌手になりたかったんですか?」
そして、彼女はこう答えた。
「昔から音楽が好きだったから自然な流れだった。最初の頃ファンが少なくて生活はきつかったけど、その数人のファンのために、音楽を作り続けていきたいなと思った。私は話すのが苦手なんだけど、もし音楽で人に感銘を与えられたらそれは私にとって幸せだ。ステージの上から盛り上がっているファンの姿を見るなんて、本当に最高だ。私の兄はサラリーマンで、姉はOLだよ。二人とも幸せな人生を送っているし、お金には全く困っていない。でも二人はケビンが書いてくれたあの手紙のようなものをもらったことはないんだ。私はあれを読んだら涙が出るほど嬉しかった」
彼女にそう言われたら、僕は何だか現実を飲み込めない状態になってしまった。13歳の自分の夢の中を生きているんだ。そう気づくと、何をすればいいのか分からなくなってきた。僕は夢が叶ったんだ。今まで望んできたことは完璧に手に入ったんだ。これから、一体何をすればいいのか。人は夢が叶ったら、その後どうすればいいのか。どういう風に新しい夢を持てばいいのか。そんな味わったことのない奇妙な感情に覆われ、ものすごく不思議な気持ちになったのだ。
彼女の言ったことを長く、深く考えてみた。結局僕はその夜、作家になろうと決断した。彼女が僕に感銘を与えたように、彼女が褒めてくれた僕の文書を活かし、残っている人生で力の限り色々な人に感銘を与えていきたい、と。
でもその時から僕は何回も自信喪失に陥ったことがある。僕には小説家になれる才能があるのだろうか。外国語で小説を書くなんて、現実的な目標なのか。たくさんの人に褒められ、たくさんの人に笑われた。相当上手い、本当にへたくそ。日本人より上手い、小学生に負ける。どっちだ。僕の文は上手いのだろうか、下手なのだろうか。僕には出来るのだろうか、出来ないのだろうか。正直言って、昨日までそんな自分自身の声が邪魔してきたのだ。そして、昨日東京事変のライブに行ってきた。
僕はSOFTBALLが解散して半年くらい経ってから椎名林檎の音楽を聴き出した。なんて素晴らしい音楽だ。と、誰もいない部屋で思わず呟いた記憶がある。今もSOFTBALLの音楽は僕にとって特別な意味を持っているけれど、やはり椎名林檎は全く違うんだな、とすぐ分かった。生まれて初めて「天才」という言葉の意味を分ったような気がした。慶應に留学している間に東京事変のライブのチケットを手に入れられなかったけれど、秋茜の天国を遊んでそれで良かった。そして、昨日東京事変のライブに行ってきた。

椎名林檎がステージに現れた瞬間、鋭いものがぐさりと僕の胸を刺したように感じられた。その後も、言葉じゃ説明出来ないくらい感動的な演奏だった。すごかった。とても感動した。やっばい。超楽しかった。こういった表現じゃ僕が昨日受けた感銘を全く伝えられないので、経験した演奏については描写しない。代わりに、自分が気づいたことについて、これから延々と書きたいと思う。この日記はここから始まるのだ。
人間というのは複雑なものだ。人間が欲しがるもの、人間が嫌うもの、一体なんだろう。人はそれぞれの希望を持ち、それぞれの方向に向かっていく。人間は幸せに引っ張られていくのか、それとも恐怖に押されて進むのか。人間はどうやって夢を持つようになり、どうやって人間は感動するようになるのだろうか。人生の意味ってなんなんだろう。僕はあの夜、秋茜の歌手と話しているうちに、他人にやる気を起こさせることは人生の意味だとつくづく思った。しかし他人を感動させるために、どれだけ自分の幸せを捨てなければならないのだろうか。
現実的には、日本で小説家になるために、僕には誰よりも勉強することが必要だ。日本人より日本語が上手いって可能なんだろうか。もし僕は本当に小説家になりたかったら、これからは毎日目が痛くなるくらい勉強しないと無理に違いない。外国語で人に感銘を与えることって、最初に思っていたより随分難しいんだ。だから日本人をなめるなよ。芥川賞を目指しているのならお前は今より百倍くらい勉強しないと絶対に無理だぜ。これからは数年もかかるし。それでいいのか?全てを勉強に捧げてもいいのか?じゃなかったら、日本で小説家になれると思うなよ。甘すぎだから。はっきり言って本当の作家に失礼だから。もう一度自分に聞いてみろよ。残っている人生を執筆に捧げてもいいのか。昨日までそんな自分自身のか弱い声を常に耳にしていた。そして、昨日東京事変のライブに行ってきた。
いいんだ。ステージの上に立っている椎名林檎を眺め、ほんの一瞬にして確信した。この人のように、才能を尽くしたい。いや、この人のように、才能を尽くさなければならないのだ。全てを執筆に捧げてもいい。いや、全てを書くことに捧げるべきだ。既に夢を実行している僕だからこそ出来る。これから毎日死んだつもりで勉強してもいい。毎日涙が出るほど勉強しても、全然平気だ。僕はそうしなければならないからだ。あの時SOFTBALLに会ったのも、今椎名林檎の輝きが僕の胸を激しく刺しているのも、全てはそう示している。これは僕に与えられた使命だ。もうそういう風にしか考えられないのだ。
願っているよ。
貴方の夢は、どんなに濁る世界だって壊せないさ。
望んだ侭、突き進んで居て方位を誤ったら、
そっと思い出して。
昨日、声を限りに叫ぶ椎名林檎を見つめていると、初めて鮮明に見えた。僕は絶対に小説家になるのだ。日本で小説家になるのだ。それはまるで毎日太陽が空に昇るかのように、ごく自然なことのように思えた。僕は絶対に日本で作家になり、たくさんの人々に感動させるのだ。楽しい。これは楽しい!この気持ちは初めてだ!前より百倍くらい鮮やかな色が降り注いでいる。僕は虹色の滝を浴びている。まるで背中から翼が広がるように感じられる。まるで地面から飛び出せるように感じられる。汗が出るほどの落ち着けない気分なのだ。
今僕は東京事変の「生きる」という曲を聴き、最高に幸せだ。もう一回夢が叶うのだ。先ほどそう悟ると、久しぶりに日記を書きながら涙が溢れてしまった。
